はじめに
視覚に障害がある子どもたちが学校に通うとき、学習の困難さだけでなく、 心の中にさまざまな葛藤や不安を抱えていることがあります。
「みんなと同じようにできないことが悔しい」
「見えていないことを知られたくない」
「助けてって言いたいけど、目立ちたくない」
それは、視覚障害という“見えにくさ”が、心の“見えにくさ”にもつながっているからかもしれません。この記事では、視覚障害のある子どもたちが学校で直面する悩みや思い、そして周囲ができることについて考えていきます。
見えにくさが生む「心の葛藤」とは?
1. 「違い」を感じる瞬間がある
- 黒板の文字が見えない
- ノートを取るのに時間がかかる
- 体育でうまく動けない
こうした日常の中で、子どもたちは
「自分だけができていない」「みんなと違う」
と感じることがあります。
ときにはクラスメートからの一言が胸に刺さることも。
「なんでそんなに近くで見てるの?」
「この漢字読めないの?」
「点字って特別扱いじゃん」
どれも悪気のない言葉でも、当事者にとっては「自分の見えにくさが浮き彫りになる」ような感覚になることもあります。
2. 「助けて」が言えない理由
視覚に困難がある子どもでも、できる限り“普通”に見せたい気持ちがあります。
- 本当は手伝ってほしいけど、言えない
- 「わからない」と言いたくなくて、わかっているふりをしてしまう
- 頼ることで、「できえない子」と思われたくない
特にロービジョンの子どもたちは、「見えているように見える」ことで周囲に理解されにくく 、ひとりで抱え込んでしまうことがあります。
3. 「みんなと同じでいたい」と「自分らしくいたい」の間で
たとえば…
- 点字や拡大教科書を使う
- 支援員と一緒に登下校する
- 別室でテストを受ける
こうした合理的配慮は、子どもにとってとても重要です。
でも、同時に本人が「目立ってしまう」「特別扱いに見えるかも」と葛藤することもあるのです。
「ありがたいけど、目立ちたくない」
「配慮してもらうのはうれしい。でも、普通に過ごしたい」
この複雑な思いを、 大人はきちんと受け止めてあげることが大切 です。
子どもたちの声から見えてくること
- 「できない自分を、ちゃんと見てほしい」
- 「“頑張ってるね”と言われると、つらくなるときもある」
- 「困ってるって、気づいてほしかっただけ」
一人ひとりの声に、 助けてほしいけど、助けを求めるのが怖いという、揺れ動く気持ちがにじみ出ています。
教育現場や大人ができること
● 配慮=“特別扱い”ではないという前提づくり
「全員が学びやすい環境をつくるために、それぞれの手段が違うだけ」
この考え方を、子どもたちにも大人にも共有することが大切です。
●「困ったら言ってね」だけでは伝わらない
本人が自分の見えにくさをうまく言語化できないこともあります。
だからこそ、
- 「この文字の大きさ、読みやすいかな?」
- 「今日の授業、黒板のどこが見えづらかった?」
など、 具体的でやさしい聞き方が大切 です。
- 周囲の理解を育てる工夫を
- 拡大教科書や点字を体験する授業
- 「違いがあることは自然なこと」と伝える日常の会話
- 視覚障害について学ぶ“ほんの5分”の時間
“違うこと”を特別視せず、自然に受け止める空気を育てることが、子どもたちの安心感につながります。
まとめ|“困ってもいい”と思える教室を目指して
視覚障害のある子どもたちは、見えにくさと日々向き合いながら、「みんなと同じように学びたい」「自分らしく過ごしたい」と願っています。
そのためには、 自分のことを安心して伝えられる環境、理解してくれる大人や仲間の存在が何よりの支えになります。
- 「見えづらい」と言える勇気を支えること
- 「ちょっと助けて」と言える空気をつくること
- 「自分のやり方でいいんだ」と思える安心感を届けること
それが、 子どもたちが自分らしく学び、生きていく力の土台になります。 

みんなで学ぶ授業の様子

