はじめに
突然、あるいは少しずつ「見えにくくなる」──。
中途で視覚に障害を負った方や、病気・加齢でロービジョンになった方の多くが、こうした“変化”との向き合い方に悩みます。
「この先どうすればいいのか…」
「もう自分らしい生活はできないのでは…」
「周囲に迷惑をかけたくない」
そんな思いを抱くことは、とても自然なことです。
この記事では、“障害を受け入れる”ということの意味やプロセスについて、一緒に考えてみたいと思います。
「障害を受け入れる」って、どういうこと?
「受け入れる」と聞くと、「ポジティブにならなきゃ」と思ってしまいがちですが、そうではありません。
障害受容とは、「無理に前向きになること」ではなく、
- 自分の変化を知ること
- できなくなったことに悔しさを感じること
- それでも、できることを探していく過程そのもの
つまり、気持ちの揺れや葛藤も含めて“自分を大切にする”ということなんです。
中途視覚障害者が感じやすいこと
中途で見えにくくなった方には、以下のような想いが交錯することが多いです。
- 「仕事や趣味を失った」と感じる喪失感
- 周囲に伝えることへの抵抗や、偏見への不安
- 「助けて」と言えずに一人で抱え込んでしまう
でも、大丈夫です。
今までのやり方とは違っても、“自分らしさ”を取り戻す道は必ずあります。
それは、少しずつ「できること」「使える道具」「頼れる人」を見つけていくことから始まります
ロービジョンの人が抱えやすい「曖昧さ」と向き合う
ロービジョン(弱視)の方には、
- 見えるけど見えにくい
- 周囲から「見えてるのに何で?」と言われる
- 点字は使えない、でも普通の文字もつらい
という、“中間的な立場”ゆえの苦しさや戸惑いがあります。
● 自分の「見え方」を言葉にすることが第一歩
ロービジョンは外からはわかりづらく、誤解されやすい障害です。
「こういう場面で困る」「この文字の大きさなら読める」といった“自分の取扱説明書”を作るような感覚で伝える力が大切です。

受け入れに正解はない
障害を受け入れるタイミングは、人それぞれ。
「〇ヶ月で切り替えなきゃいけない」なんてことは、絶対にありません。
- 気持ちのアップダウンがあるのは自然なこと
- 落ち込む日があってもいい
- 誰かの言葉に救われる日があるかもしれない
それでも、少しずつ見つかっていく“自分なりのやり方”があります。
- 白杖を使ってみたら、外出が少し楽になった
- 拡大読書器で、また本が読めるようになった
- 同じ経験をした人の話を聞いて、気持ちが軽くなった
障害を「ひとりで」受け入れなくていい
障害を受け入れるというのは、とてもエネルギーのいることです。
だからこそ、ひとりで背負わないことが大切です。
相談できる場はたくさんあります
- 地域のロービジョン相談室や視覚障害者支援センター
- 視覚特別支援学校や盲学校の外来相談
- 点字図書館や福祉機器展示会
- ピアサポート(同じ障害を持つ人との交流)
自分のことを少しでも理解してくれる人に出会えたとき、
「自分も、また前を向いていいんだ」と思えるはずです。
まとめ|変わってしまったことと、変わらない自分を大切に
見え方が変わってしまっても、あなたの大切な価値や、人とのつながり、夢や興味まで失われたわけではありません。
“障害を受け入れる”とは、「あきらめること」ではなく、「自分と向き合い直すこと」。
少しずつでいい。
できることが増えていくたびに、あなたの世界はまた広がっていきます。
「誰に相談すればいいの?」「こんな時、どうすればいいんだろう…」
そんな気持ちがわいてきたときこそ、はじめの一歩を踏み出すタイミングかもしれません。
迷っていても大丈夫。どうぞお気軽にご連絡ください。
#視覚障害の人を中心にいろんな人が集まっているイラスト


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