この記事でわかること
本記事は、2026年7月18日に開催されたオンライン座談会「第4回 先輩に聞いてみよう!視覚障害×大学生活。合理的配慮のリアル」の内容をレポートとしてまとめたものです。群馬大学に在学中の視覚障害のある大学生をゲストにお迎えし、入試での配慮申請から履修登録、授業についていけない苦しさ、友人関係の悩み、そしてそこからの回復まで、包み隠さず語っていただきました。視覚障害のある中学生・高校生とその保護者、教育関係者に向けて、大学での「合理的配慮」のリアルな姿をお届けします。
登壇者の紹介
宮沢優太さん/群馬大学 共同教育学部 特別支援教育専攻 3年生
新潟県十日町市出身。網膜色素変性症により、進行性に見え方が変化してきた。現在の視力は両目とも0.2程度残っているが、視野狭窄が進んでおり、検査では2度ほどと言われる状態。「5円玉の穴から覗いているような見え方」「人と向き合っても片目分くらいしか見えない」と表現する。まぶしさに弱く暗所も見えにくいため、歩行時は音を頼りにすることも多い。小学校・中学校は地元の一般校に通い、病状の進行を見据えて高校からは新潟県立の盲学校(高等部)へ進学。学校推薦型選抜で群馬大学に入学し、現在は将来の夢である盲学校の教員をめざして特別支援教育を学んでいる。趣味は音楽鑑賞とゲーム。
そもそも「合理的配慮」とは?
座談会の冒頭では、進行役から「合理的配慮」の基本的な考え方が共有されました。ポイントは大きく2つです。
- 他の人より有利になるための配慮ではなく、他の人と同じスタートラインに立つための配慮であること
- 提供する側に過度な負担がない範囲で、対話をしながら内容を決めていくものであること
例えば「大学全体に点字ブロックを敷いてほしい」という要望があっても、設置コストが膨大になる場合は過度な負担とみなされる可能性があります。だからこそ、当事者と大学側が「どこまでならできるか」を話し合いながら決めていくプロセスこそが合理的配慮の本質だ、という説明がありました。
受験勉強と入試当日の合理的配慮
読書スピードの差を「量」で埋めた受験勉強
宮沢さんが受験を意識し始めたのは高校1年生の冬。見え方の特性上、どうしても文章を読むスピードが遅く、同じ1時間勉強しても他の受験生より進む量が少なくなってしまうことが大きな壁でした。この差を埋めるためにとった方法は、シンプルに「勉強量を増やす」こと。受験直前期には土日で1日12時間勉強していたといいます。受験形式は学校推薦型選抜で、内容は小論文と面接、願書の提出でした。
大学のスタンスが決め手になったオープンキャンパス
大学選びでは、筑波技術大学・長野大学・新潟医療福祉大学・群馬大学の4校のオープンキャンパスに足を運びました。多くの大学では「視覚障害のある学生の受け入れ実績がない」「対応が難しい」とはっきり言われることもあった一方、群馬大学の担当者の対応は違っていたといいます。
宮沢さん:
「分からないし、うまく対応できるかも分からないけど、一緒に話し合いを重ねて、一緒にやっていきましょうって言ってくださったんです。それがすごく印象的で、安心感を覚えて……ここなら大丈夫かなって思えたんです」
この姿勢に安心感を覚えたことが、群馬大学を第一志望に決めた大きな理由になりました。
入試当日の配慮:小論文は「先生の読み上げ」で受験
大学独自の入試(小論文・面接)では、次のような配慮を受けました。
- 試験時間を1.5倍に延長
- パソコンでの解答を許可
- 別室受験
- 高校の担任の先生に会場まで同行してもらい、問題文を読み上げてもらう
問題文の読み上げを大学の職員ではなく担任の先生に依頼したのは、事前に何度も読み上げの練習を重ね、「聞き取れなかったら2行戻って読んでもらう」といった細かい連携ができていたからだといいます。日頃から連携を積み重ねてきた相手だからこそ実現した、珍しい配慮の形と言えるでしょう。
共通テストは「1.5倍の試験時間」でも過酷な長丁場
共通テスト(5教科7科目)では、試験時間を1.5倍に延長したうえで、自分で読む部分と試験監督に読み上げてもらう部分を併用し、解答は代筆者にマークしてもらう方式で受験しました。それでも試験は朝9時頃から夜7時半頃まで続き、終わった直後は「疲れすぎて安堵の涙が出た」というほどの長丁場だったそうです。なお、点字を使う受験者の場合は試験時間がさらに長く、1.5〜2倍程度になることもあるといいます。
配慮の申請は「半年以上前」からの準備が必要
共通テストの配慮申請は、本人の記憶によれば、1月の受験に対して前年の9月末には提出し、10月頃に許可の回答が届くスケジュールだったといいます。つまり実際に動き出すのは受験の半年ほど前。合理的配慮を求めるには、早い段階からの計画と準備が欠かせないことがよくわかるエピソードでした。
一人暮らしと入学前の準備
新潟から群馬へ移り、大学から徒歩10分の距離にあるアパートで一人暮らしを始めました。物件探しでは「大学に近いこと」「IHコンロであること(ガス火は危険性を考慮して避けた)」を重視。不動産屋で障害を理由に断られるようなことはなく、学生向け物件をスムーズに紹介してもらえたそうです。自宅から大学までの通学路は、最初は人に付き添ってもらいながら歩き、電柱にぶつかったり水たまりに入ったりする経験を積み重ねて、徐々に一人で歩けるようになりました。
また、入学前には大学の「障害学生サポートルーム」の室長がキャンパス内を案内し、食堂や教室の位置を一緒に歩いて確認する機会もありました。点字ブロックの劣化や廊下の照明の暗さについて相談したところ、実際に新しい点字ブロックの設置や照明の改善につながったといい、入学前から継続的に大学側とやり取りを重ねていたことがうかがえます。授業の受け方についても、実際に講義室に足を運んで座席からスクリーンの見え方を確認したり、配布資料や長文の論文をどう読むかを事前に話し合ったりと、入学前の準備は多岐にわたっていました。
入学後に立ちはだかった壁
履修登録という「モンスター」
大学生活で最初につまずいたのが履修登録でした。見えている学生にとっても見づらいと言われる複雑な履修表を、見えにくい状態で読み解くのは困難を極めます。先輩が新入生向けに開いてくれた説明会に参加しても、配布された冊子自体が見づらく、口頭説明だけではついていけず、最終的には障害学生サポートルームに「助けてください」と駆け込んで、職員と一緒に1〜2時間かけて登録を終えたそうです。オンラインで履修管理を行うLMS(学習管理システム)も、操作に慣れるまで時間がかかったといいます。
「授業が早すぎてついていけない」——盲学校とのギャップ
最も大きな壁になったのは、授業の進むスピードでした。盲学校では十分についていけていた授業も、一般の大学では周囲が何倍もの速さで教材を読み進め、授業はそれを待たずにどんどん進んでいきます。「盲学校にいる間は十分についていけていたのに、大学に来た途端に全然ついていけなくなった」というギャップに、宮沢さんは強い絶望感を覚えたといいます。
宮沢さん:
「他の学生と本当に同じ立場で、自分に何ができるんだろうって……もう絶望感というか劣等感というか、本当に自分には何にも価値がないんだって、本当に思っちゃって」
「自分には何にも価値がない」と感じるほどの劣等感に襲われ、入学早々に授業へ行けなくなり、うつ病のような、寝たきりに近い状態になった時期があったと明かしてくれました。その後、後期から一度は持ち直したものの、2年生でも同じような理由で再び挫折し、正式に休学を取得することになります。
立ち直るきっかけになった機能訓練
それでも「大学を辞める」という選択肢だけは、一度も頭に浮かばなかったといいます。その理由は、苦労して実現した大学進学を簡単には諦めたくないという思いと、自分がお世話になった先生のような盲学校の教員になりたいという強い目標があったからでした。
立ち直る大きなきっかけになったのは、東京視覚障害者生活支援センターで受けた「機能訓練」でした。ここでは白杖を使った歩行訓練、パソコン操作、そして音声読み上げソフトを使って「耳で聞いて理解する」訓練に取り組みました。最初は読み上げを聞いても全く頭に入らず眠くなってしまうほどだったそうですが、訓練を重ねる中で聞いて理解する力が育っていったといいます。
この訓練が大学生活に与えた影響について、宮沢さんは「技術面だけでなく、心理的な克服が一番大きかった」と振り返ります。
宮沢さん:
「自分は周りの人とは違うやり方かもしれないけど、こうしてもらえればできるんだっていう、そこの自信がついたので……その授業はこういう行われ方をされてたけど、こういう風にしてもらえれば自分はできるっていう風に、大学側とやり取りができるようになったんです」
訓練によって自信が生まれ、授業でうまくいかないことがあっても大学側に自分から伝えられるようになった——つまり、合理的配慮を”求める力”そのものが育ったといいます。この心理的な変化があったからこそ、3年生になってからは休学することなく通い続けられているそうです。
友人関係とキャンパスライフのリアル
大学生活では、勉強面以外にもさまざまな壁がありました。入学したての頃、部活・サークルの勧誘が盛んなキャンパスの通り道を白杖をついて歩いていると、隣の友人にはチラシが配られ話しかけられているのに、自分には誰も声をかけてくれない、という経験をしたといいます。また「白杖を知らない」「折りたたみ式の白杖を見たことがない」という学生に出会うなど、視覚障害と接する機会が少ない環境ゆえの戸惑いも感じました。
最初の友人づくりのきっかけとなったオリエンテーションでも、「相手の顔がわからないと自分から話しかけられない」というもどかしさを経験したそうです。こうした経験を経て、宮沢さんが大切だと感じるようになったのは「コミュニケーション能力」でした。
宮沢さん:
「自分から話しかけられないので、もし自分がいたときは、こんにちはって話しかけてくれると、めちゃくちゃ嬉しいっていう風に、自分から伝えたりしていましたね」
自分の見え方や困りごとを自分から説明すること、そして声をかけてほしいと自分から伝えておくこと。合理的配慮では解決できない領域を埋めるのは、結局は自分から発信する力だったと語ります。
大学に伝えたいこと、うまくいかなかったこと
先生ごとにバラバラな資料アップロード
大学に改善してほしい点として挙げられたのは、授業資料のアップロードルールが先生によってバラバラで、そもそもアップロードしない先生もいるという点でした。統一されたルールがあれば、視覚障害の有無を問わずすべての学生にとって受けやすい授業になるのではないか、という提案がありました。
教授への直接メールで感じた心理的な負担
失敗談として語られたのが、サポートルームを通さずに担当教授へ直接メールで配慮を依頼したときの経験です。なかなか返信がもらえなかったり、文面だけでは困っている内容や依頼したい内容がうまく伝わらなかったりして、結局「もう本当に大変」というやり取りになってしまったといいます。この経験から、大学と当事者の間に立って調整してくれる障害学生サポートルームのような「仲介者」の存在がいかに重要かを実感したそうです。
進行性の見え方に合わせて配慮を”更新”し続ける難しさ
網膜色素変性症という進行性の病気であるため、入学から2年ほどの間にも見え方は大きく変化してきました。最近では家族の顔も声で判断することが増えてきたといいます。見え方が変わるたびに「自分にとって今、何が一番やりやすい方法か」を考え直し、その都度授業担当の先生に新しい方法を提案する作業には、課題そのものよりも多くの時間を割いてきたそうです。
資料のテキスト化が「試験前日」に届いた不平等
サポートルームとの連携で困った出来事として、約2万字の論文をテキストデータ化してもらいレポート作成に使う予定だった際、早くから依頼していたにもかかわらず、データが届いたのがレポート提出期限の前日だったというエピソードも語られました。他の学生が1週間程度の余裕をもって課題に取り組める中、自分だけ準備が整うタイミングが遅れてしまう——これは「よく考えると不平等な状況だった」と振り返ります。
質疑応答から
一番楽しい授業・一番難しい授業
一番楽しい授業として挙げられたのは「重複障害教育概論」。重い障害のある子どもとのコミュニケーション方法を学ぶ授業で、最初は「どう関わればいいのか」と疑問だったことが、学ぶことで理解できるようになる面白さがあったといいます。一方、一番苦労した授業は手話でした。見えないために触手話(手話を触って理解する方法)で学びましたが、手話は口の位置や動きの向きなど視覚的な情報が重要なため、触手話ではその情報の多くが伝わりにくく、大きな困難があったと振り返ります。
使っている支援機器
パソコンの音声読み上げ機能とiPadの「UDブラウザ」を主に活用しているとのことでした。点字も読めるものの、勉強で実用的に使うレベルではなく、日常的にはスマートフォンやタブレットをうまく使いこなしている印象です。
大学にもっとこうしてほしいことは?
この質問には「大学は一生懸命やってくれているので、むしろ自分が至らない部分の方が大きい」と答え、要望よりも自分自身の努力次第だという考えが語られました。とはいえ補足として、サポートルームとのやり取りにおける資料テキスト化の遅れ(先述のエピソード)については改善してほしい点として挙げられています。
障害受容について
進行性の見え方の変化にどう向き合ってきたかという質問には、「気分は上がったり下がったりを繰り返している」というリアルな答えがありました。以前できていたことができなくなる度にショックを受けるものの、その悔しさを「何かに頑張って打ち込む」エネルギーに変換してきたといいます。また、視覚障害のある人が人混みでもスムーズに歩く姿を見て「なぜそんなに歩けるのか」と感じ入ることがあり、「音を聞いて壁を把握できるようになりたい」というユーモラスな願望も語られました。障害受容は一朝一夕には進まず、時間をかけて自分の中で納得していくプロセスなのだという実感がにじむ場面でした。
後輩へのメッセージ
在学中の小中高生に向けて「大学入学前にやっておいた方がいいこと」を聞かれた宮沢さんは、「好きなことをやればいい」と答えました。見えないことを理由に諦めてしまった経験があるからこそ、興味のあることには挑戦してほしいという思いがあるといいます。勉強については「学校の勉強は、世の中のいろいろなことへの”興味の入り口”だと思う」と語り、学校で学んだ英語をきっかけに海外の音楽の歌詞を調べてみたくなった、といった具体例も紹介してくれました。
将来の目標である盲学校の教員については、「自分自身が教科書になる」という言葉が印象に残っているといいます。
宮沢さん:
「これから自分が頑張って本当に教員になれたとしたら、その姿を学校の子どもたちに示せる。本当にそれが今、自分の生きがいになってるかなっていう風に思いますね」
視覚障害があっても大学に進学し、教員になれることを自分の姿で子どもたちに示したい——挫折を経験するほどに、その思いは強くなっていったと語ってくれました。
まとめ:合理的配慮と、それを使いこなす力
今回の座談会は「合理的配慮」というタイトルで企画されましたが、実際に語られた内容の多くは、配慮を「求めること」の先にある、配慮を「使いこなす力」や「自分から伝える力」についてでした。入試前の配慮申請、履修登録のサポート、資料のテキスト化など、大学が制度として用意してくれる合理的配慮は間違いなく大きな支えになります。しかし、それを実際の学びや生活にどう落とし込むかは、当事者自身のコミュニケーション力や心理的な回復力に大きく左右されるという現実も、今回のリアルな体験談から浮かび上がってきました。
合理的配慮の活用と、自分自身の力を高めていくこと。この両方が揃ってはじめて、大学生活は前に進んでいくのかもしれません。視覚障害のある子どもたちやその保護者にとって、大学生活の「入口」だけでなく「その先のリアル」を知る手がかりになれば幸いです。


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